考える繭

セルフ自己啓発や自己分析、思考の整理とか備忘録のためのブログ。

怒りと依存

昨日の夜、実家にて隣の部屋の弟がやけにうるさかった。

ここ最近というか半年くらいその騒音に悩まされていたため、ついつい戸を大きく叩いてしまったのだ。

 

弟は基本的に自分本位であり、悪いやつではなく能力もあるのだが、いかんせん内弁慶でカッコつけたがりな側面がある。

そんな彼にとっては僕が戸を叩いて苦言を呈したのが気に食わなかったのだろう。

静かにしてほしいと言ったら

「こっちも楽しみたいんで」

という意味の分からない返答が、憤りを感じさせる震える口調とともに返ってきた。

おそらく、「楽しみたいから邪魔するな」と言いたかったのだろうと推測し、静かにしてほしい旨を伝えたが、終始下を出したりでまともに聞いている雰囲気はなかった。

 

そこで久しぶりに怒りという感情がじわじわとこみ上げ、前頭葉のあたりがブワッとあたたまるのを感じた。

これはよろしくない。そう、とっさに思ったのだ。

 

本題

たまにしょっちゅう不機嫌だったり、怒りを発露している人を見かけては、何がそこまで怒りに執着させるのだろうと思っていた。

 

感情を吐き出すことは大事だし、それ自体に僕が口出しするということも的はずれな行為ではあるので、特に何も言ったり制したりはしてこなかった。

ただし、何故?という疑問は常につきまとっていた。感情的になることはかなり疲れるし、特に怒りという感情は肉体へも精神へも負荷がかかる。誰しもしょっちゅう怒りたくはないはずである。

 

しかし、今回久々に頭に血が上る体験を肌で感じ、いくつかの興奮作用が働いているのを理解し、怒ることによる興奮作用と覚醒効果が凄まじいものであると判明した。

実際、脳が変にスッキリと冴え渡ってしまい、朝まで心臓の音が妙に近くなり、眠ることができなかったのだ。

 

ようやく落ち着いた頃、数時間ほど仮眠を取り、先程自分に起きたことを考えていた。

これは一歩間違えば自分も常に怒っている人…、怒り依存症になってしまうなと危機感を覚えたからである。

 

久々の怒りは、僕の脳に覚醒をもたらし、鼓動を早め、思考をクリアにした。その一瞬、怒り以外の小さな悩みや不安がかき消えたのだ。焦燥感や無力感といった一切合切の雑念は、怒るという一点に脳が容量を割いたために、隅に追いやられてしまったようだった。束の間、僕は悩みを忘れることができた。

 

この感情に近いものを僕はよく知っていた。

 

少し真面目な話

自傷行為というのは様々で、その目的も多岐にわたる。

ただ、多くは苦痛から一瞬だけ逃れるための手段として用いられていると思われる。要はスッキリするのだ。

痛みや血そのものを目の当たりにし、痛みを抑えるための脳内麻薬が分泌され、その副次的な効果によって、悩みや不安がかき消される。もちろん根本的な解決にはならないし、その後に急速な離脱症状のようなものが来るため、自己嫌悪に陥ることで悪循環となってしまう。

輪ゴムなどで痛みを軽減したり、赤いペンなどで擬似的に自傷を再現するなどして慣らしていき、少しずつ減らしていくという治療が一般的で、最も確実だと思われる。

 

似た者同士

何が言いたいのかというと

怒りと自傷行為によって得られる開放感は、かなり近しいものなのではないかと言うことである。

 

あの、ふっと脳が冴える感覚。鼓動が早くなり、身体が熱くなる体験。

それらに強い恐怖を覚えたのは、自傷による快楽に似ていたからである。

 

ここまで考えが至ってしまえばあとは簡単な話で、よく何かしらに怒ってばかりの人は、怒りによって分泌される脳内麻薬による快楽を知り、怒る癖がついてしまったのだろう。自傷行為に依存するように。怒りに依存しているのだろうと思われる。

怒りによって冴えわたる思考は、不愉快にも心地よく感じてしまった。元喫煙者として、ニコチンなんかよりも遥かに脳がクリアになる感覚があり、人体にこんな作用があるのかと感心してしまった。

 

僕は専門家ではないので、自分の体験からの推測しかできないが

怒ることでストレスを発散するという手法は、結構リスクのある行為なのだろう。そのうちだんだん癖になっていき、しまいには依存のような状態になってしまうのだと考えられる。

人体で生成される興奮剤であるため、タバコやアルコールのように摂取しなければいいとはいかず、一度ハマってしまうとなかなか元の自分を取り戻すのは困難を極めることが容易に想像できる。タバコやアルコールが良いとはいえないのだが、怒りに身を落とし、心の自傷行為を繰り返すよりはまだマシなのではなかろうか。

 

今回の体験で、自分を顧みるとともに、怒ることについて改めて考えるいい機会になった。弟の騒音問題は解決していないが、新しい視点が得られたのでひとまず良しとしたいと思う。

感情をむき出しにすることは、たまにであればいい発散と自己の欲求の再確認につながる良い行動だろうと思う。しかし、怒りに関しては、慎重に対処していく必要がありそうだ。

 

健全なる精神は、健全なる身体に宿れかし。

 

もう少し筋肉が欲しいなと思いつつ、思うだけで時が過ぎ、微妙にぷにってきたお腹が気になる昼過ぎ。

昨今はなかなかピリピリとした空気が広がっており、抑圧に耐えかねて心を壊してしまう人も多い。かく言う僕自身、怒りの沸点が下がっているのを実感する。

こういう時期だからこそ、自身の感情をコントロールするすべを模索し、自己研鑽に励むのが大切になってくるだろう。自分という存在をより明確に認識し、心の健康をうまくコントロールしていく力を身に着けていきたい。